五代友厚
1836年(天保6年) | 2月12日 薩摩国鹿児島郡城ヶ谷で、薩摩藩儒臣・五代直左衛門秀喬の次男として誕生。幼名徳助のちに才助。 |
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1846年(弘化3年) | 藩の聖堂(造士館)に入り文武修業。 |
1854年(安政元年) | 藩の郡方書役となる。 |
1857年(安政4年) | 2月 長崎遊学、海軍伝習所伝習生として航海、測量、砲術、蘭学、数学などを学ぶ。勝海舟らと出会う。 |
1862年(文久2年) | 1月 長崎において御船奉行副役となる。グラバーとともに上海に渡り汽船購入。 4月 幕府船千歳丸に水夫として乗船、上海に渡り市況調査を行う。 5月~8月 高杉晋作、桂小五郎、横井休之進(中井弘)などと出会う。 |
1863年(文久3年) | 7月 薩英戦争に際し、松木弘安(寺島宗則)とともに英艦の捕虜となる。 |
1865年(慶応元年) | 3月 薩摩藩の英国への派遣留学生団の副使としてイギリス、ベルギー、オランダ、フランスなどを訪問、翌年2月帰国。 |
1868年(慶応4年) | 2月 新政府の参与職外国事務局判事を任ぜられ、大阪在勤となる。大阪開港事務に奔走。 8月 三岡八郎らとともに、香港より造幣機械の買い入れを行うなど大阪造幣寮の設置に奔走。 |
1868年(明治元年) | 9月 大阪府判事 |
1869年(明治2年) | 5月 大阪の富豪を説き、大阪に為替会社、通商会社設立を策す。 会計局権判事に任ぜられ、横浜転勤を命ぜられる。 7月 政府に辞表を提出し、大阪に戻る。 |
1870年(明治3年) | 本木昌造とはかり大阪活版所をおこす。 |
1871年(明治4年) | 10月 大和国吉野郡に天和銅山を開く。 |
1872年(明治5年) | 6月 三井・小野組合銀行(のちの第一国立銀行)の設立に関与。 10月 大和国吉野郡に赤倉銅山を試掘。 11月 近江国愛知郡に蓬谷銀山を買収。 |
1873年(明治6年) | 1月 鉱山管理会社・弘成館設立。 |
1874年(明治7年) | 3月 東京京橋築地入船町に弘成館出張所設置。これ以降、大阪を西弘成館、東京を東弘成館と称す。 5月 小野組顧問格となる。 7月 岩代国伊達郡の半田銀山の払い下げを受ける。 |
1875年(明治8年) | 1月~2月 五代友厚の斡旋により、大久保利通・木戸孝允らによる大阪会議開催。 |
1876年(明治9年) | 9月 製藍会社・朝陽館設立。 11月 五代らの奔走により堂島米商会所再興。 |
1878年(明治11年) | 8月 五代らの尽力により大阪株式取引所設立。 9月 広瀬宰平らと協力して、大阪商法会議所設立、初代会頭となる。 |
1879年(明治12年) | 9月 藤田組贋札事件が起こるが、五代は藤田伝三郎の無実を弁護。 12月 買い占めによる米価騰貴に対して、広瀬宰平らとともに売り向かい、売り崩す。 |
1880年(明治13年) | 8月 大臣岩倉具視に米納復活意見を建議。 11月 私立大阪商業講習所(後の大阪商科大学、大阪市立大学)を設立。 |
1881年(明治14年) | 3月 大阪製銅会社設立。 6月 北海道交易などを行う関西貿易社を創立し、総監となる。 |
1882年(明治15年) | 12月 神戸桟橋会社設立。 |
1885年(明治18年) | 9月25日 東京築地の別邸で死去 |